前南50周年の歴史

今年は創立50周年のCelebration Year!このコーナーでは、前南50年の歴史を振り返っていきます!

⑯ペガサス像 ありきたりじゃない物語を描け(2025/11/25更新)

正門のペガサス像は10期生の寄贈。つまり、ペガサス像は40周年。

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⑮各施設の完成 少しずつ現在の原型が・・・(2025/11/14更新)

□格技場(昭和54年)︎□プール(昭和56年)︎□合宿所(昭和58年)

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⑭憩いの森 野球グラウンドのセンター後方に(2025/11/7更新)

「よい環境こそよい人物が育つ」という考えのもとに、開校当初より緑ある学校づくりを目指していた。昭和53年に楠を始め多くの樹木を植え、緑陰をつくりスポーツで疲れた体を憩う「憩の森」が完成した。また、単なる生徒の憩の場としてだけでなく、茶華道にも使えるような構想のもとに、昭和54年3月、第一回卒業生の寄付により、あずまや「普論亭屋」が完成した。

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⑬制服 50年前も今も変わらぬ(2025/11/6更新)

□制服も校歌と同じく、プロのデザイナーではなく、高等学校教育研究会の家庭部会に依頼し、高崎市の竹田千代モードサロンの協力を得て、Standard、Sporty、Smartの3Sを基調として生み出された服装で、男子は紺色のブレザーとズボン、女子も紺色のブレザーとスカートとした。

□昭和51年2月14日の上毛新聞では、「前橋南校でも制服、校歌 女高生の人気のマト」と紙面で紹介された。

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⑫マラソン大会 創立記念大会として実施して現在も(2025/11/5更新)

□昭和51年11月1日の創立記念日に、創立記念第1回マラソン大会を実施

□1期生の生徒会長「…こんな我々が集まると思い出話で必ず出るのが体育の時間のマラソンと校庭の石拾いです。創立記念日のマラソン大会に向けて9月、10月はマラソンの時間、それが体育の時間でした。未完成なグラウンドでマラソンの後で石拾いをした、そんな体育の時間が我々の思い出です」

□今年度も11月6日(木)に実施。

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⑪部活動2 全国制覇を果たした部は・・・(2025/10/31更新)

前南50年の歴史の中で、空手部・水泳部・演劇部の3団体です!

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⑩部活動 最初に関東大会以上に出場した部は・・・(2025/10/30更新)

□演劇部・・・昭和52(1977)年 関東大会優秀賞

□創立(1976年)当時の部活動・同好会の数・・・体育系14、文化系2、同好会2

□創立年の県高校総体出場はバスケットボール、卓球、陸上、庭球の4部

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⑨文化祭 開校3年目に(全学年が揃って)第1回楠祭(2025/10/29更新)

□第1回楠祭・・・開校3年目の昭和53(1978)年6月17日(土)18日(日)の2日間開催。テーマは「創り出そうみんなの力で」

□文化祭は3年に1回で開催

□第2回楠祭・・・昭和56(1981)年6月20日(土)21日(日)。18日には市内の人々へのアピールで「仮装行列」を実施

□去年(2024)、今年(2025)と2年連続で楠祭を実施・・・生徒から要望が上がり、どの学年も3年間で2回文化祭を経験でき、引き継ぎもスムーズにできるという理由から

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⑧なぜ「楠」? 校名にちなんで・・・(2025/10/27更新)

昭和52(1977)年1月に前橋「南」高校の「木」として「」がシンボル樹と決まった。

昭和53(1978)年に「憩の森」が完成し、憩の森に立川正達氏の寄贈によるが植えられた。

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⑦最初の高校入試は・・・ 希望者がだんだんと増え・・・(2025/10/24更新)

□昭和51年度入試 360人定員のところに、479人の志願者。1.33倍。

□12月の第1次公立高校進学希望調査段階では希望者210人(0.58倍)、1月の第2次調査段階では359人(0.997倍)

→最初の高校入試、第1次の希望調査から最終的には倍の志願者が集まってくれた、ということですね

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⑥「前南」の同級生は・・・ 〇〇界で大物ずらり(2025/10/23更新)

元プロ野球選手の上原浩治さん、高橋由伸さん、元サッカー選手のベッカムさん、サンリオのマイメロディーさん

そして、お菓子の「チョコボール」「カルビーポテトチップス」「きのこの山」「ハイチュウ」も50周年(50歳)

ちなみに、〇〇50周年で言えば

歌手の矢沢永吉さんはソロデビュー50周年、山下達郎さん、中島みゆきさんはデビュー50周年

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⑤校歌[昭和51(1976)年2月完成] 作詞家の名前、実は・・・ (2025/10/22更新)

校歌は「プロの作詞・作曲家より、高等学校教育研究会の中の各部会で…」という初代校長の考えで、作詞は国語部会へ依頼し、市川忠夫氏(前橋高校教諭)が原詞を作り、高宮正夫(前橋南高校教諭)・大井恵夫(髙﨑女子高校教諭)の二氏が加わって、推敲を重ねて完成した。そのために作詞家は三氏の氏名を合わせて“大宮忠夫”とした

作曲は同音楽部会に依頼し、松原隆介氏が中心に作曲した。

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④設立1年目のトピックス 群馬県公立の普通高校で“初の”・・・(2025/10/17更新)

・第1回入学式は体育館が完成していないため、群馬会館にて行われた。

・群馬県公立高校の普通高校で、初の“男女共学のクラス編成”の学校に。

 →当時群馬の高校は男女別学か、共学でも男子・女子は別クラスという並学校が多かったそうです。時代ですね。

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③クラス数変遷 時代の流れとともに・・・ (2025/10/15更新)

昭和51(1976)年→8クラス・定員360名

平成08(1996)年→7クラス・定員280名

平成15(2003)年→6クラス・定員240名

平成22(2010)年→臨時7クラス・定員280名

平成23(2011)年→6クラス・定員240名

令和03(2021)年→5クラス・定員200名【現在】  

→創立当時は「1クラス45名」(現在は40名)だったことがわかりますね。

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②校章 羽ばたくのさPegasus (2025/10/14更新)

群馬の原野でたくましく育つ子馬の姿と、 学校名「South(南) School」の頭文字「S」を組み合わせたデザイン。

この校章は、井田秋雄氏によって図案化され、生まれたばかりの子馬がやがて駿馬となり、 最終的には天を駆ける天馬のように、 前橋南高校から優れた人材が輩出されることを願う初代校長の思いが込められています。 

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①創立 前橋南高校誕生! (2025/10/10更新)

昭和50(1975)年11月1日に設置されました。

新校舎への移転: 昭和51(1976)年3月6日に開設事務所が亀里町の新校舎に移転しました。

昭和51(1976)年4月6日 第1回入学式を挙行しました。